Tuesday, March 28, 2017

2017-03-19 青春18きっぷ飯田線沿線階段巡りの旅(2日目)佐久間〜中部天竜〜城西〜水窪〜夏焼集落

寝袋はモンベルの#3、ヒートテックにハードシェルまで着込んだので全然寒くないはず!と思ったんですが意外に寒くて30分毎に目が覚めて全然熟睡できないまま朝を迎えました。北アルプスのもっと過酷な条件でも熟睡してたんですけどね…

小和田駅の豊橋方面の始発は7時過ぎ。5時に起きて朝ご飯を食べると、5時半位にうっすら明るくなってきたので以前小和田駅にきたときたどり着けなかった高瀬橋跡をみたり、塩原集落のほうに少し行ってみたりしました。まあその辺は秘境駅レポートしてるひとがいっぱいいるので割愛します。

7時30分、水窪周辺の地形を眺めながらまた佐久間駅に戻りました。城西にいく電車は3時間後なので十分時間があります。(次の電車は30分後にあるけど、その時間じゃ佐久間が巡れないので乗らない)

昨日も夕方に少し見たんですが、佐久間駅周辺もなかなかいい坂をお持ちですね。

路地の奥にハツミ美容室という美容室がありました。実は昨日西渡地区にもハツミ美容室があったんですよね。この狭い地域に同じ名前の美容室が2軒…まさかチェーン展開!?家族関係があるのか知りたいところです。残念ながらまだ開店してなかったので聞けませんでした。

まずは中部天竜地区へ行こうとしたのですが地図で見るとこのトンネルを抜ける道路しかない。でも狭いし交通多いし大変危ない。なんでだろう…と思ってたんですが
実はこの飯田線の鉄橋、歩行者用の通路が作られていて人も渡れるそうです。なるほど…てかめっちゃ鉄橋渡りたかったな。

中部天竜地区は天竜川を挟んで駅のある東岸地区と国道のある西岸地区に分かれている。写真に見えるのは東岸地区。まあどっちも階段はそんなに多くないですw でも時間はあるので散策してみましょう。

中部天竜の東岸地区から佐久間駅方面をみたところ。のどかですねー。

西岸地区の天竜川沿いは川に向かって降りる階段が多くありました。でも自分は通り抜ける階段をメインにしているのでここは上から見るだけ。

西岸地区の上部から、中央に東岸地区と、左奥に佐久間。西岸地区は今でも現役の旅館がいくつかあるようです。

ここからは佐久間駅周辺。半鐘って写真撮りたくなるよね。

突然爆音で演歌が流れ始めたので何かと思ったんですが、少し歩いていくと車が止まっていておばあちゃんが買い物をしていました。どうやらあの演歌は販売車がきたということを知らせる音だったようだ。ちょっと買ってみたかったけど青果物が中心のようだったのでやめておいた。

左にあるのは佐久間中学校跡。そういえば佐久間の小学校と高校は現役のようだけど、中学校が廃校になってる。中学生だけ他の地域に通っているのだろうか?

城西駅にやってきました。相月駅で降りるか迷ったんだけど、相月〜城西間は階段の数は多くなさそうで時間は1時間以上かかるのでパス。また次の機会にしましょう。

お茶畑の間の階段は狙っていかないことにしたわけですが、城西の階段は民家とお茶畑が一体化していて不可分なのでこれはもう最高です!鼻血出そう。

この斜面、曲がり方、石垣、梅の花にトタン!階段のわびさび要素をこれでもかと詰め込んだ階段の宝石箱や!

城西から向市場方面に歩いていくと見覚えのある風景が…って電車の中でもう2回見てて気がついてるんですがw天竜川を渡りかけて戻ることで有名な飯田線の名所「渡らずの鉄橋」です。元々はこの山にトンネルを掘っていたんだけど岩盤が弱くて…といった話は飯田線の歴史を解説をしているサイトがいっぱいあるので興味あればそっちをお読みください。

でも鉄橋下を歩いてみると、これ、ほとんど天竜川を渡りきってるよねw

渡らずの鉄橋と階段のコラボ。天竜川の作った地形が生んだ風景です。

何か川に向かって降りていく立派な階段跡がありました。飯田線の関係のものだろうか。

ここから向市場まで国道を歩いていっても面白くないので山側の細い道を歩いて行くことにしたんですが、そこは旧飯田線(というか未成線)の跡でした。

向市場駅とその上に伸びる集落がみえます。写真だとわかりにくいですが、実際みてみると笑っちゃうくらい高低差があります。階段があれば上まで行きたかったな〜〜でも上の方には車道のみで階段がないのでスルー。

街道沿いの休憩施設をのぞいたところ明治、大正期の水窪の写真が展示されていました。非常に貴重な資料ですね。

川沿いはバイパスが走り、旧街道(塩の道)は少し上部を走っています。それをつなぐ坂道。昔は天竜川が氾濫するので少し高いところに街道があったんだと思います。

水窪に階段巡りに来ようと思った発端の階段。本当は階段の右にある鈴木屋旅館に泊まりたかったんだけど、電話したら数年前に廃業したとのことでした。左側も昔は旅館をやっていて、つげ義春が泊まったこともあるらしい。でも拡大するとわかりますが、階段は新しいタイル張りで、選挙ポスターが多く、正直ちょっと物足りない階段でしたw

でもこうやって上から眺めると街道の雰囲気はちゃんと残ってて、夜をみたいなって気持ちになりますね。

高台に登ったところ。正面に見える三角形の山は高根城跡。大河ドラマの井伊直虎の撮影に使われたらしく、水窪のいたるところで井伊直虎の幟が立っていました。

水窪の街中ではここの階段が一番よかったかな。上部はY字に分かれているいわゆるY段でもあります。

水窪の北部からさらに北側方向。水窪は中央構造線上の町です。この谷間で日本は分断されているわけです。ここ北上した静岡県と長野県の県境が、いまでも国道を通せないでいる青崩峠。国道も飯田線もこの中央構造線に泣かされてきたのですね。

少し時間があったので水窪駅よりけっこう北の方まできてみました。このあたりは縄文時代の遺跡もあり、今でも畑を耕していると土器片が出土するとか。塩の道は前史時代から続いていたのだと思うと胸が熱くなる。

水窪駅からみた水窪の街全景。左にある高台の中腹を塩の道が通っています。

さて水窪駅で16時の電車に乗るとまた大嵐駅にやってきました。また湯ノ島温泉に入るためでもありますが、もう一つ重要なミッションがあります。それは大嵐駅から南に向かう夏焼隧道を抜けた先にある、夏焼集落の階段を巡ることです。夏焼隧道は佐久間ダムができる前に飯田線が走っていたトンネルを集落用のトンネルに転用したもので、そこから先の県道はすでに通行止めになっているのでこの隧道はほぼ夏焼集落専用です(あと少数の釣り客)。


地図でみると本当にここに集落があるのか疑問に思うようなところですが、ネット上のレポートによるとまだ住んでる方がいるようなので廃墟ではないようです。率直に言えば今からここに住む人が増えるということは考えにくいので、遅かれ早かれここは廃集落になるでしょう。でもできれば人が住んでいるうちに生活の姿を残しておきたい。

隧道を出たところで車道は終わりますが道は続いているのでとみチャリで進みます。こんな道を走ることは想定されていないだろう可愛い自転車を選んでみた。

ここから集落への階段を登っていきます。

集落が見えてきました。外にはちゃんと洗濯物が干されています。洗濯物は生活の証。

住んでいる方にはお会いしませんでしたが、おそらく今お住いなのは3軒、多くても4軒でしょうか。でも車でアクセスできるところまで徒歩で15分弱、車に乗れば大嵐駅まで5分、その先に富山地区の商店がある、ということを考えると車さえあれば生活はできそうですよね。自転車でもいけるか?


Googleから借りているストリートビュー用の全天カメラで撮影し、ストリートビューにアップロードしておきました。ぜひ夏焼集落周辺でストリートビュー見て、どんなところか感じてください。

中央構造線による日本列島の形成、縄文時代から続く塩の道、近代化による飯田線、佐久間ダムの建設とその結果生まれた集落。非常にいろいろなことを感じ、考えさせられた一日でした。明日の階段は何を教えてくれるのでしょうか。

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