Thursday, April 4, 2013

階段の魅力

俺が階段に魅力を感じるのは大きく分けて次の三つになる。
  1. 段差が続いていくセクシーなフォルムという見た目的な特徴
  2. どこにでもあるから新しいものがいつでも探せるけど、地域内では数が限定されているのでコンプリートできるコレクター魂を満たす
  3. そこに人が生活しているという証
1については前回書いた定義の階段を、美的と感じるかどうかという受け取り手の問題である。2は完全に俺の個人的な感情だけど、完璧主義のきらいがある自分は適当に回るということができないので自分にとっては大事である。しかし自分が特に階段に感じいるのは3のためだと言っていいだろう。

階段というのはひとが通行し、登るために作られる。そして階段は車を拒絶し足で登るしかない。そのような急峻な土地は必ずしも住みやすいとは言えないし苦労を伴うだろう。
横浜、保土ヶ谷
自分は飛行機より電車、特急より鈍行、車より歩くことが好きだ。もちろん便利さは大事なことだけど、世界のリアリティをこの身で感じることでもっと大事なことが見えてくる。

階段を見ていると、そこにある人間の生活が浮き出てくるし、「人間のしぶとさ」というようなものが現れているように思う。

長野の茅野市を歩いていたときに畑の中を歩いていると、階段とともに立て札があり、そこには弥生時代の上蟹河原遺跡と書いてあった。もちろんその階段が弥生時代に作られたわけではないけど、その斜面はおそらくは弥生時代から続いてきて、いつの時代かに階段になったのであろう。
長野県、茅野市

そのような憧憬に自分はある種の愛しさを感じないではいられない。自分にとって、階段とは人間の生活を映した鏡なのだ。

俺の知人に寒村や離れ島の床屋で散髪することを生き甲斐にしているひとがいる。彼にとっては床屋でそこの生活を聞くことこそが人間の生活を感じる手段なんだと思う。

自分はけっこう非コミュで直接的にそういう話をするのが苦手なので、階段を歩いてそこはかとなく生活臭を感じるのが好きである。