Wednesday, July 5, 2017

2017-05-27 奥多摩むかし道

5月末の週末に奥多摩に行ってきました。奥多摩駅周辺は何度も行っているのですが、今回は奥多摩駅から奥多摩湖までの間にある集落の階段が目当てです。行くまであんまり気にしてなかったんですがこのルートはちょうど奥多摩むかし道という古道にあたります。奥多摩むかし道についてはここでは詳しく書きませんが(そもそも詳しくない)、まあつまりは青梅街道が車道になる前の旧街道ですね。中山道や東海道ほどメジャーな街道ではないため残ってる史跡も派手なものはありませんがそのぶん「保存してる」感じじゃないリアルさがありました。

いきなりですが本来の奥多摩むかし道はこの斜面の上の道です。でもこの上は以前に歩いたことがあるので今回はパス。めっちゃ長い神社への参道があります。

すぐそこが奥多摩駅で、駅周辺はそこそこ栄えているんですが、ちょっと離れるともう森に隠されて見えなくなってしまう。

奥多摩駅を離れて一つ目の集落。ただし住所は奥多摩駅周辺と同じ奥多摩町氷川。まだそこそこ街らしい感じがあり、売店等もあります。

猫かわいい。

この日の天気予報は晴れだけど、けっこう雲が多かった。奥多摩までくると標高が5〜600mあるので雲が近い。

次は境集落。残念ながらうまく写真を撮れるスポットを見つけられなかったけど、ここはとにかく絶壁のような土地に集落が作られていて見た瞬間に笑っちゃいそうになった。すんごい。


奥多摩駅より上流で多摩川はかなり蛇行していて、半島状の土地に集落が作られている。地形的に家が作りやすいわけでもないと思うけど、凹状の谷筋は鉄砲水や土砂崩れが起きやすいので凸状の半島部のほうが安全、ということがあるのかもしれない。

境集落の一番上にあった民家はどうも空き家になっているようだった。そんなに古くないし、見晴らしがものすごく良いので古民家カフェをやったら人気出そうなロケーションだ。一番高台のわりに、駐車スペースもあったし。

しかし上にくるのに車道は1本なんだけど、水道の工事をしていて車は通行止めになっていた。民家はたいして多くないとは言え、車を持ってるひとは下に停めたんだろうか。

ここも住所は境だけど、青梅街道からは離れたところに独立してる小さな集落。上に見えるのは奥多摩と奥多摩湖の小河内ダムを結んだ水根貨物線跡。Google Mapsの地図と衛星写真で確認すると鉄橋の下をくぐってずっと上の方まで道が続いていて、点々と住宅がみえる。今でも上まで住んでる人がいるんだろうか。そのうち確認しに行ってみようと思う。

検索したところ上の集落を通っていくルートを使って探索したひとのブログを見つけました。

境集落から小中沢中流へ至る山道を探索 1/2 ――― 途中で山道は消え失せ・・・・

ふーむとても興味深い。

集落の下に降りてみる。左下にあるのが境の清泉という湧き水。ものすごく冷たいこともないけど美味しい水だった。その脇ではわさびを栽培している。奥多摩はわさびの産地でもあります。

地図上では集落下部にあるこの家がやませみハウスという名前になっていたのですが、現在は空き家でした。前はなにかしらの施設だったんだろうか。

しばらく舗装されていない道を歩きます。階段の上は白髭神社。耳神様、歯神様といった土着信仰の像が時折あり興味深い。

この辺はかなり小さな集落で、地図上では集落の名前を確認できず。石柱にむかしみちと書かれていますが昔の人はむかしみちとは言わないのでそんなに古い石柱ではないでしょう。

古いけどなかなか立派な家。倉もあるし。土曜日だったこともあり、時々むかし道を散策している中高年グループとすれ違う。歩いてる人間のうちでは自分が一番若いくらいに思えた。まあ中山道のような観光的要素も低いしかなりいぶし銀な場所だからねえ。

途中多摩川にかかっていた吊橋の渡し板が木製で、ところどころ緩んでるところがあったりしてなかなかスリリングだった。同時に渡れるのが2人までとかなり少ないのがまた不安にさせる。

素敵な一軒家。こんなところに住んでみたいものですねー。

建物はかなり古いが、オロナミンCの張り紙は意外にも新しい。次の日の日原集落でも新しいポスターがあったし、オロナミンCはこういう集落で営業活動してるんだろうか。

この辺は空き家率がかなり高かった。さらに1軒、ドアも窓も開けっ放しなので家の中が丸見えで、中に家具や布団があって最近まで住んでた雰囲気はあるけど葉っぱのつもり方からみて数週間以上は放置されている、という家があった。家主が急病で入院とかするとそういうことになるんだろうか。家主が戻らなければそのまま朽ちていくしかないだろう。

この上に道路が走っててそこに直接アプローチするショートカットないかな…と思ってたんですがこの崖はさすがに無理ですねw 道が回り込んでいるのには理由がある。

むかし道はこっちと書かれてるけど、この道を通るとたぶん中山集落の上部に直接アクセスすることになって中山集落の下部が見れないのでここを通らず車道を歩いて青梅街道へ戻ります。

山の中にある赤い屋根がおそらく中山集落。地図にある浅間神社かと思ったけど神社ではないようだ。写真で見るとそんなに遠くないようにみえるけど、実際には「え、いまからあそこまで登るの…」と思うくらい高低差ある。

一度青梅街道を横切り、砂防ダム的な設備を通り抜けるトンネルを登っていく。

砂防ダム?の上部には小さな集落があるんだけどすべて空き家になっているようだった。2件ほど比較的最近と思われる家もあったんだけど。青梅街道のすぐそばだしそこまで不便そうでもないんだけどな? なにか事情がありそう。

奥多摩むかし道で最高地点にある中山集落。まあ車があれば青梅街道からそんなに離れてるわけではありません。青梅街道沿いのバス停からも歩いて10分くらいだし、住むところとしてありだと思う。

この左側の下に続いてる道は先ほどの下の分岐から直接中山集落にアクセスするむかし道。多摩川沿いにあるむかし道は一度ここで大きく高度をあげる必要があったわけですね。

多摩川の下流方面を眺める。下に小さく見える白い建物はむかし道沿いにある奥多摩消防署の訓練施設です。今日は晴れの予報だったけど雲がずっとかかっていてなかなか晴れ間が見えなかった。まあ下手に晴れると日差しがつらくなるんですが。

中山集落から次の集落までは峠を超える山道です。といっても中山集落がほとんど峠の最上部にあたるのでだいたい下り。

下りきったところが分岐になっていて、このままむかし道で次の集落へ向かう道と青梅街道に降りる道に分かれている。青梅街道に出たところにはバス停があります。

分岐のすぐそばにある民家はまだまだ住めそうだったけど空き家になってるっぽい。ところでこういうところにある民家ってトイレどうなってるんでしょう? タンク設置しても収集できないよね。

ここは集落の名前がわからないのですが青目立不動尊のある集落に出ました。青目立不動尊は少し前まで休憩所として公開されていたようですが、現在は休止し非公開になっているようです。

この集落はなんといっても眼前に迫る奥多摩湖が大迫力。この迫力と、ダムができる前のずっと下にあったであろう奥多摩川の渓谷を想像しミックスするととても感慨深いものがあります。

ちなみにこの階段、一応通行可だと思うのですが草花の生え方が非常に美しい。手入れされていない階段の無造作と、自然の造作のコラボレーション。

むかし道の終点、水根集落に着きました。ここはちょっとした休憩所等があって、終着点らしいちょっと観光的な雰囲気が感じられる場所だった。(たぶん普通の意味での観光地ではない。あくまで奥多摩むかし道上で比較的観光地らしい、という意味)

水根沢キャンプ場というのがあったので、受付のおばちゃんにお願いして中を見せてもらいました。ここすごいです。かなりひっそりとしたキャンプ場で知らなかったら「え、ここにキャンプ場あるの?」という隠れ方をしていて、さらに直火OKだし沢が横を流れていてものすごく雰囲気がいい。さらにdocomoの電波はいらないというw 使う方は覚悟してください。でもいいなあ。完全オフラインのキャンプ、なんてなかなかできないですよ。「土日はだいたいやっている」というアバウトさもいい。

ここから先はむかし道ではなく奥多摩湖畔の道です。正面に見えるのは小河内郵便局。しかし駐車場になってるのかなってないのかわからないような狭いスペースで、非常に駐車しづらいし近くに大きな集落もなくどれだけ需要があるのか謎。

10分ほど歩いたところで熱海トンネル前の分岐に着くのですが、トンネル上にある原集落へアクセスするのに車道で回っていくのかなーと思ったら近道の歩道がありました。

原集落は倉戸山という山への登山口になっているそうだ。ただし倉戸山への登山道は利用者がかなり少なく荒れている、という注意書きがあった。人気のない低山は道が不明瞭で木で見通しも聞かず本当に遭難するので注意が必要。自分も奥秩父の人気ない登山道を使って何度か遭難しかけました。

原集落最上部から奥多摩湖を眺める。写真中央の山腹に見えているのが青目立不動尊のある集落。今は車道ですぐそこですが、車道がなかった頃は行くのに1〜2時間はかかる隣村だったんでしょうね。

これより先はかなり歩かないと次の階段にたどり着かないのでここまで。この階段の下にバス停があるのでそこからすぐバスに乗って奥多摩駅に戻る予定だったんですが、すぐそこに日帰り入浴をやっている温泉があるようなのでそこにはいっていくことにしました。

温泉自体は非常に気持ちよかったのですが、そこに入って17時のバスで奥多摩駅に戻り、18時過ぎのバスで東日原まで行って適当なところで野宿しようと思っていたのです。しかし奥多摩駅に着いて東日原行きのバスを待ってるときにふと気がついたのです。あれ?カメラがない。いやいやいや、温泉で着替えるときカメラは持ってた。その後ははっきりした記憶がない。バス降りるときは忘れ物ないか確認したから車内に忘れたわけではない。バス停に忘れたとかそういう可能性もありますがまずは温泉の受付に電話してみるとありました。よかったー。しかし温泉が19時までなので、次のバスで取りに戻ると19時ちょうどくらいになりそう。19時少しすぎるかもしれない、とお伝えし取りに戻ることにして、なんとか受け取ることができました。ふーやれやれ。

また奥多摩まで戻ってきたときには20時近くになっていて、東日原への終バスはとっくなくなっている。奥多摩周辺で野宿して次の日の早朝から東日原まで歩いてもいいんだけど、翌日10時に奥多摩駅集合の予定があるので5時過ぎに歩き始めたとして東日原の9時過ぎのバスに乗るのに4時間ほど。東日原までストレートに歩いて2時間以上かかると思われるので、ちょっと階段巡る時間的余裕が少ないと判断し今日のうちに東日原まで歩いておくことにした。昼間に15kmくらいアップダウンを歩いて、さらに雨が振り始めたなか、デスマーチをスタートさせました。

東日原までは想定通り2時間15分くらいで着いた。雨が降ってなければもうちょっと目立たないところを探して野宿しようかと思ったんだけど雨が意外に強かったので屋根のある東日原バス停で野宿しました。トイレがあるので少しそれの匂いがするのがアレでしたが… 寝る前にパトロールにきたパトカーにここで寝るの?と聞かれましたが、はいそうしますと答えると、風邪引かないようにねとだけ言われました。禁止だよと言われなくてよかった。翌日の東日原編に続きます。

この日のアルバム。
https://goo.gl/photos/eHGVKERKPKKVQg4o7

Friday, June 23, 2017

2017-05-07 GW階段巡りツアー5日目 三重県紀北町 島勝 尾鷲市 須賀利

魚見小屋で目覚めると昨日の雨はどこかへ行き、綺麗な日の出を見ることができました。2日連続でこんな日の出をみれるなんて、いったい前世でどんな徳を積んだのかと不思議になってしまいます。

魚見小屋を外からみたところ。なかなかですよね。窓は閉まってたのを開けました。

昨日登ってきた道を戻りますが、途中で集落に直接降りる分岐があったのでそっちから降りました。時間は短くなるけど代わりに傾斜がきつくなる。

島勝に戻ってきました。完全に集落の裏道で特に看板もないので、こっちから登り始めるってのは難しいな。

島勝はGoogle Mapsの地図が詳細ではない地域なので階段があるかどうかはっきりしなかったんだけど、けっこういい階段があった。島勝のための時間とっておいてよかった。

島勝は廃墟率低め。新築もあったけど新築は集落の逆側の谷沿いの平地だったので、そっちは新しく切り開いた場所なのかもしれない。そっちに中心が移ればこっちの斜面は段々空き家になっていくだろう。

島勝浦体験交流施設「けいちゅう」。集落内で何回かけいちゅうという表記をみたんだけど、たぶんここが桂城中学校跡で、桂中、けいちゅう、なんだと思う。地元の人間しかわかんないってw

島勝に別れを告げ、須賀利に向かって峠を登り始めます。正面の尾根をずっと登っていった先が魚見小屋。

峠道の途中で、漁港でトイレを貸してくれたおじさんが犬の散歩をしていました。そこでまた話をしたんですが魚見小屋に泊まったという話をしたら「あそこに泊まったの?ダニがすごかったでしょ」と言われましたw ダニ防止のために虫除けしてエマージェンシーブランケット敷いて寝てよかった… ちなみに帰ってからも念のためにザックや寝袋を天日干したし、部屋でかゆくなるようなことは起きてません。野宿には虫よけは必須ですね。

何度か見かけた注意書き。「この附近で行為をするには知事の許可が必要です」ってなんとなくエロい響きがしませんか?

峠を下って最初にあった数軒の集落はすでにすべて空き家になっていました。

おそらく旧須賀利中学校。かなり廃墟化が進行しており、たぶん20年以上前に廃校になっているんじゃないだろうか。公共施設が取り壊されることなく廃墟になっていくのはあまり見ない。

須賀利中学校の裏には小さな集落があり、ここはまだ住んでいる人がいるようだった。

ここから須賀利のメイン集落。湾に沿って細長く集落が続くタイプの漁港。このタイプは横に広がることで居住環境を確保するので、斜面の上には広がらず階段がないことも多い。それでも斜面の上に住宅があるってことは横への広がりだけでは不足するほど発展した時期があった、ということです。

須賀利は現代的な視点では最近まで車でアクセスできなかった不便な土地ですが、海運がメインであった江戸時代においては重要な廻船の風待の港であったのです。

しかし当然今は過疎が進行中で、地区の人口は200人前後、人が住んでいる家屋は100軒ほど、とのことであった。自分が歩いてるときも家を片付けている方がいて、もう空き家になると言っていた。

また地区の復興に関わっている方にお話を聞くことができた。それによるとこの集落の中に格安で泊まることのできる民家を再利用した施設を整備しているところだそうだ。それはぜひ利用したいですね。

家の前に貼られた手形は「ますかけ」といい、米寿を祝って友人知人に配るものだそうです。去年尾鷲の他の漁港を歩いたときもよく見かけた。ただ島勝のようにまったくない集落もあるし、各家に貼られている集落もあるのでかつてはこの地域一帯の風習だったんだろうけど今はけっこう飛び飛びになっている印象。住民の方は鳥羽の答志島でも見たことがある、とおっしゃっていた。また友人知人に配るものなのでこれが玄関先にいっぱい貼ってあると交友関係が広い、という一種の見栄的な要素もあるそうである。

須賀利小学校は既に廃校になっているが、比較的新しい。この地区の小中学生は尾鷲市が手配したタクシーで峠を越えて島勝よりさらに先の学校に通学する…と昨日のタクシーの運転手さんが言ってたけど、今はそもそも就学年齢の子供がいないそうです。

対岸の山の向こうには外海に面した湾があり、元々はそっちに須賀利の集落があったそうです。それがあるとき高潮で街が流され、今の須賀利と島勝に分かれて移住したという経緯があるらしい。須賀利小学校の遠足でその元須賀利まで行くというイベントがあったと聞きました。今はもう1軒も家はなく道路も通じてないけど何か道が残っているのだろうか。次に須賀利に行ったときはぜひ訪れたいと思う。名残惜しいけどそろそろ須賀利をたたなくては。

帰りは島勝に戻らず寺倉峠という峠を越えていきます。須賀利に道路が通じていなかった時代は尾鷲まで巡航船があったわけですが、船が出せない天候で緊急に街へ出ないといけないときはこの峠が唯一の陸路だったそうだ。さらに巡航船というようなものもない時代は、この峠を越えて降りた先に湾を渡る渡し船が存在したとも聞いた。


地図の中心が寺倉峠、その南にあるのが須賀利集落。峠の北側にはなにもない。数年前に登山グループが道を整備したがそのあとは特に手入れされていないので荒れているかも、と聞いたのですが特にそんな困難な場所はなく普通に歩いていけました。須賀利から北側の海に出るまで1時間くらい。ただし降りたところは林道でなにもなく、そこから林道を歩いてバス停に出るまでさらに1時間ほどかかる。これがけっこうきつかった。まあ朝からずっと歩き続けてるしね。

当初は湾を回り込んで対岸の海山地区、そしてその先の相賀駅まで歩いていこうと思ってたんですが5日間と朝からの強行軍の疲労で気力の限界に達して、バス停でバスに乗って尾鷲駅まで戻りました。

バスに乗ってるときに去年尾鷲きたとき時間がなくて尾鷲の街中にある階段数か所を巡ってないことを思い出し、限界に達した気力をさらに絞って見に行ってきました。

尾鷲の中村山公園から見た景色。中央左の半島を入っていったところが須賀利。

帰りは東京まで夜行バスで、尾鷲から乗ることもできるんですが、熊野にある銭湯にどうしても入りたかったのであえて熊野まで電車に乗って移動し、ときわ湯に入ってきた。ここは素晴らしくいい銭湯だった。5日間の疲れを流し、湯船に浸かりながら上町台地、和歌山、尾鷲と巡ってきた道のりを思い出す。長いようにみえてあっという間で、日常という奇跡的な美しさの連続。今回も忘れられぬ階段巡りとなりました。

ああ、階段よ永遠なれ…!!